カメラ販売やフィルム現像を手がけてきた老舗写真店の廃業が、横浜市内で相次いでいる。デジタルカメラの普及で銀塩写真の需要が激減しているためだ。中区では輸入カメラ専門店の千曲商会が3月限りで店をたたみ、今月末には「ろまんカメラ」が看板を下ろす。足かけ3世紀にわたり「写真文化」を築き上げてきたフィルムの今後は―。
◆港の歴史刻む arad rmt
「今や、フィルムの入れ方すら知らない若い人もいるんですよね」。ろまんカメラの社長、金丸二郎さん(71)は苦笑する。
官庁街とあって、以前は日に20?30本の現像を受け付けたが、この7、8年で数本程度に。デジタル写真のプリントも行うものの、銀塩に比べ客単価は3分の1ほどになり、現像機の維持費で精いっぱいだという。
横浜?野毛にろまんが店を開いたのは、戦後間もない1946年の末。最盛期は十数人の社員を擁し、小売りから卒業アルバム、結婚式の撮影まで手広くこなした。金丸さんは56年に入社し、現在地の中区太田町に本店を移した70年から社長を務める。
当時の主要な業務の一つに、横浜港で荷揚げされた貨物の撮影があった。船会社や港運業者が、荷主や保険
会社に破損の有無を報告するために用いたという。「野毛から本牧あたりまで、自転車でよく出かけました」と金丸さん。ミナトの歴史の一端を記録してきたわけだ。
◆全国的に苦境
「もうDP(現像、焼き付け)だけでは飯が食えないんですよ」。ろまんでカメラマンとして働き、その後独立した渡辺フオトアート(横浜市保土ケ谷区)店主の渡 Atlantica rmt
辺武さんは、寂しげに話す。
県カメラ商協同組合の副理事長も務めたが、実はその組織自体、2年前に解散してしまった。フィルム需要の低落と経営者の高齢化が主な理由で、95年に県内で319あった加盟店は、解散時には100程度に減ったという。
銀塩写真を取り巻く状況は、全国規模で見ても厳しい。メーカーや小売店などでつくる日本 Dofus rmt
カラーラボ協会(東京都千代田区)によると、ピーク時の97年に年間4億8千万本を数えたフィルム出荷量は2008年、5500万本にまで激減。「一にも二にもデジタルの影響」としている。
◆代え難い魅力
縮小し続ける写真フィルムの市場。とはいえ、深みのある色彩や細密な描写力には、代え難い魅力がある。化粧品の広告写真などでは、 rmt arad
今なお重用されている。
本紙日曜版に「かながわ鉄道遠足」を連載している大磯町在住のカメラマン、杉崎行恭さんは「仕事の9割方がデジタルになったが、雑誌の見開きで使うにはポジ(スライド用)フィルムが欠かせない。印刷したとき、色調の再現性や迫力が全然違う」と話す。
写真フィルム大手の富士フイルム(工場?南足柄市)は06年に「
写真文化を守り育てることが使命」との“決意表明”を発表。「表現力や長期保存性はデジタルに勝る」とし、銀塩を「写真の原点」と位置づけた。品種の統廃合など合理化を進めつつも、根強い需要に応えていくという。
◇
ところで、ろまんカメラの店名の由来は…。金丸さんは「ひらがなの方がモダンな感じがするので」と教えてくれた。では、そ
もそもなぜ「ろまん」と名付けたのだろう。「写真とは夢です。ロマンがあるんですよ」
【関連記事】
? カメラと写真映像の情報発信イベント「CP+」が開催中/横浜
? 関内の輸入カメラ専門店「千曲商会」が閉店に/横浜
? プロ写真家への登竜門、土門拳文化賞に厚木の三栖さん
? 触れて見える日常風景 「対照 佐内正史の写真」展/
川崎
? 収集写真から浮かぶ「地域史」、市民団体が活動/相模原
引用元:エターナルカオスNEO(NEO) 情報局
ceremonyの意味
11 年前
0 件のコメント:
コメントを投稿